書を捨てよ、ビデオ観よう。
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ミクロキッズ3
HONEY, WE SHRUNK OURSELVES
1996年
アメリカ映画
75分
HONEY, WE SHRUNK OURSELVES
1996年
アメリカ映画
75分
〔監督〕ディーン・カンディ
〔脚本〕キャリー・カークパトリック/ネル・スコヴェル/ジョエル・ホッグソン
〔撮影〕レイモンド・ステラ 〔音楽〕マイケル・タヴェラ
〔出演〕リック・モラニス/イヴ・ゴードン/アール・シンクレア/バグ・ホール/アリソン・マック/ロビン・バートレット/スチュアート・パンキン/ジェイク・リチャードソン
「タチの悪い三男坊」
それがこの映画に対する個人的な評価である。
長男の『ミクロキッズ』はいいヤツだった※1。
極小サイズになってしまった少年達が、庭から家に戻ろうと奮闘する光景をユーモアとスペクタクルを交えつつ、子供ならではの発想で問題に立ち向かっていく姿を描いた、冒険SF作品である。
また次男の『ジャイアント・ベビー』もいいヤツである。
小さな男の子が巨大化してしまう。という前作とは正反対の展開で、巨大な幼児が大の大人を振り回す姿をコミカルに描いたエンターテイメント作品である。
・・・だが、三男の『ミクロキッズ3』はとんでもないダメ息子だった。
彼はミクロ一族の恥さらしだったのだ。
そんな三男が自身を振りかえっていわく、
「ミクロキッズ1は小さくなったガキが庭を冒険して大アタリでしたからね。
ならアッシはガキじゃなくてオトナを小さくしたんでさあ、それに舞台も庭じゃなくて屋内にしやした。
他にも、虫と友達になったり、皿の中に落ちて食べられそうになったり、オモチャの車に乗ったり、ウケが良かったところは全部マネすりゃよかったんです。はい。
しかも、なるべく簡単にできるように全部CGでチョチョイと作ってやりやしたよ。
昔ながらの特撮は手間がかかっていけねぇ。
でもマネばっかりしてたワケじゃございあせんよ。
長男、次男みたいにオープニングクレジットにセル画アニメを使うのはやめにしやした。
なんでって、つくるのが大変すからね。アニメは。
あっしはなるべくを手間をかけない性分なんでさあ。
あとはミクロキッズシリーズ三作目って言っておきゃあ良かったんです。・・・へへへ。」
・・・結局、こんな態度の三男坊『ミクロキッズ3』はおもしろいハズもなく、
結果としてミクロ一族に泥を塗る形となってしまった。
三男坊からは作り手の誠意を感じれなかったのだ。
▲シャボン玉に乗って移動してしまいます。
▲クモに口頭でお願いして、カウンターの上まで連れて行ってもらいます。
こんな子供だましが延々と・・・。
長男や次男に一目置いてきた僕は、三男坊のあまりの駄作ぶりを目の当たりにしブラウン管の前で大激怒した。
再生が終わり、プレーヤーから悪びれずに「ヘヘヘ、どうもどうも」とスライドして出てきた三男坊につかみかって叱りつけた。
こんな出来で三作目を名乗る、その態度が許せなかったのだ。
僕は三男坊にとっぷりお灸をすえてからビデオ屋に返してやった。
しかし、当の三男坊は懲りてないらしく、その後もビデオ屋では「アッシが3作目でやんす。へへへ。」とデカイ顔してミクロキッズ1・2の隣に並んでいた。
それからしばらくして、中古ビデオのワゴンセールで三男坊に出会った時は、さすがの彼もバツが悪そうであった。
「げ!これはこれは…ど、どうもお久しぶりでやんす。アッシも反省しましてね。ここでほそぼそとやってるんでさあ。」
などと言っていたが、あいかわらず『ミクロキッズ3』と、でかでかとパッケージにかかげていたので、有無を言わさずグイっと引っ張り出してレジにたたきつけてやった。
そんなわけで三男坊は現在、我が家のビデオ棚で他の駄作映画に挟まれながら謹慎中の身である。※2
※1:ちなみに『ミクロキッズ』第一作目は、B級映画一筋のブライアン・ユズナ(『死霊のしたたり』の監督)がA級映画に唯一関わった作品として一部で有名である。
※2:今回三男坊について、かなり厳しくに書いてしまったが、この作品は本国アメリカではTVメディア作品だったらしい。そう考えると頑張った方なのかもしれない。しかし厳しく書いたのも愛ゆえ、ご理解いただきたい(誰に対して?)
※:監督のディーン・カンディはもともと撮影畑の人間で、本作が初監督作である。この作品以降反省したのか監督業は行っていない・・・と思いきや、2009年に『Darkhorse』、2010年に『Vida Nocturna』の監督を予定しているようである。大丈夫か?
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ネタバレ、下品な表現があります。
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